丸亀暮らし手帖
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その後も県外で社会人生活を送りながら、年に二度は催しに携わるなど出来る範囲での協力を続けていました。ただ、それでも地元に戻るとか、家業を継ぐことなど想像もしていなかったと言います。そんな有記さんに大きな決断を促したのは、実は一瞬の出来事でした。東京で働いていた頃、有記さんはデザイン事務所で日本の地場産業を支える商品開発の仕事をしていました。ガラスなど様々な素材の開発に携わりましたが、扱いが難しいという先入観もありなんとなく木は最後まで触れないでいました。しかし、ついに木を使った商品開発の依頼が来ます。当然、最も融通の利く実家にサンプルをP27お願いしたのですが、届いた段ボールを開いたその瞬間のこと。木の薫りとその木目の美しさに感動。そのとき「あ、帰ろう。」と思えたのです。日本のモノづくりを少しでも応援したいという気持ちで携わっていた当時の仕事でしたが、思えば自分が生まれ育った場所にはそんな人たちがたくさんいました。クレームを避けるためいかに効率的に木の割れや反りを少なくするかを競い合う現在の製材業界で、山一木材はあえて時間の掛かる風と太陽のみを頼りにした自然乾燥にこだわります。それによって木ならではの温もりや質感、粘り強さや色、艶、薫りを使い手に伝えられると信じているからです。また、山一木材は2014年から地元の小学校に自作の机をプレゼントしています。木が大きく育つのに時間が掛かるように、人々が木の良さを理解するのには時間が掛かります。であるならば、小さいうちから木に触れてもらうことが何よりも大切だからです。KITOKURASによってマチのあり方とヒトの流れを変えた有記さん。次に目指すのは「子どもに将来の夢を聞いた時、胸を張って『材木屋になりたい!』と手を挙げる子がいる世の中。」だと言います。山一木材の机で大きく育った子どもたちの中から、きっとそんな子が現れる日が来ることでしょう。

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