移住者情報Migrant information
吉田文二さんは名古屋生まれ、名古屋育ち。
手島には両親の実家があり、子どもの頃は時々遊びに来ていたそうです。
名古屋から移住したのは2010年。お母さんを早くに亡くし、一人になったお父さんと余生を一緒に暮らしたいと思い、退職を前に手島に移住しました。
「田舎が好きだったので、とくに抵抗はありませんでした。」
サラリーマン時代には設備関係の仕事をしていたこともあり、今は水道や電気など島の人たちのちょっとしたお困りごとを手助けしながら過ごしています。
手島の皆さんに頼りにされる吉田さん
手島の住民は20人ほどで手島港の周辺に家と畑が集まっています。
港からの道沿いの畑には島の人たちが季節の花々を植えていて、訪れる人を温かく迎えてくれます。
「草刈りが大変なんですよ。忙しくて自分のことはあまりできないですね。」
島の人たちから「熱心にしてくれて本当に助かっているんですよ。」と言われ、吉田さんは思わず照れ笑い。草刈りに花壇の手入れの他にも消防団員や民生委員も引き受けるなど、若手の吉田さんは島でひっぱりだこの人材なのです。
面倒見のよさは、ときには旅人の心をつかむことも。
2018年に北海道から手島に移住した海老名さんは、吉田さんとの出会いが移住のきっかけでした。
西浦海岸に腰を下ろし海を眺めていた海老名さんに声をかけて、コーヒーをごちそうしたそう。
「こういう人がいるなら手島もよいなぁ。」と海老名さんの移住の決め手になったそうです。
穏やかな砂浜で島時間を楽しむ
手島港の岬をぐるっと南側にまわったところに、明るい褐色の砂浜が突き出しています。
島の人から高洲(たかす)と呼ばれる場所です。ここから海へ釣り糸をたらし、ビール片手にのんびり過ごすことがお気に入りだと吉田さん。
吉田さんのお母さんの時代には小学校の遠足の場所でもあったそう。旧手島小学校からは子どもの足なら1時間弱で来ることができるでしょう。「お弁当を食べたり遊んだりしたのかなぁ」と昔に思いを馳せる場所でもあります。
手島に訪れる人たちを温かくもてなしてくれる吉田さん。
花々の世話をしたり島のイベントを手伝ったり、今日も手島のどこかで活躍していることでしょう。